生物科学研究所研究報告
2023 年 8 月 5 日
長野県辰野のホタル再考:観光用の移入蛍で絶滅した地元蛍 松尾峡ほたる祭りの背景にあるもの
井口豊(生物科学研究所)
新型コロナウイルス蔓延の影響を受ける中で,「信州辰野ほたる祭り」は,2023 年に第 75 回を迎えた。しかし,町は相変わらず,松尾峡の外来種ホタル問題に積極的に取り組む様子は無いようだ。
下の写真が,松尾峡の移入ホタル養殖場であり,ほたる祭りには,多くの観光客が訪れるホタル鑑賞スポットでもある。天竜川および JR 飯田線沿いに拡がる「蛍の名所」として古くから知られてきた。もちろん,ホタルの移入養殖事業が始まる前から広く知られており,それゆえ,長野県の天然記念物指定地ともなっている。
辰野ほたる祭りの歴史の中で,当初のホタルは,天然記念物指定当時の,文字通り,天然のホタルであった。しかしその後,観光用のホタル移入増殖事業で,松尾峡の自然のホタルは,すっかり絶滅してしまった(辰野の移入(外来)ホタル 生物多様性の喪失へ)。
現在でも,ブログなどでは,「東日本随一といわれるゲンジボタル発生地は長野県の天然記念物に指定されており、豊かな自然環境に恵まれている。」と自慢しているが,今述べたとおり,天然記念物指定当時のゲンジボタルは絶滅に追い込まれてしまっているのである。
辰野町松尾峡は,1926 年に「ホタル発生地」として,長野県天然記念物に指定され,さらに,1960年に再指定された。当時は,もちろん,在来種ゲンジボタル生息地であり,見学も無料であった。しかしその後,観光用に外来種ゲンジボタルの移入・養殖が始まり,有料化された。
私の研究結果で判明しただけでも,辰野町が県外からホタル移入を繰り返し,かつ,それを陳情に行っている実態が浮かび上がってきた(長野県辰野町松尾峡におけるゲンジボタル移入の歴史について)。
- 1961,62 年に,滋賀県で買ってきた成虫 4000 匹を産卵させ,それぞれ 40 万頭と 30 万頭の幼虫を放流
- 1963,64 年に,東京のホテル椿山荘で飼育されていたゲンジボタルの卵を数百万から数千万個もらってきて放流
さらに,町役場幹部が,東京・板橋のホタル施設に行き,そこで飼育しているゲンジボタルとカワニナを提供して欲しいと陳情したが,断られるという問題まで起きている(辰野町,ほたる祭り用の蛍が欲しいと東京・板橋に陳情)。
今の大量のホタルが見られるようになった要因は,元を辿れば,このような大量の外来種ホタル移入養殖事業があったからであり,断じて,地元に住んでいたゲンジボタルを保護して復活させたわけではない。
辰野町松尾峡が,外来種ホタル養殖場だということは,最近では,海外にも知られるようになってきた。2018 年 6 月に,ノルウェー・オスロ大の院生 Ellen Haugan さんが,ホタルと日本文化のかかわりについて調査研究するために来日した。外来種ホタル養殖とホタルによる町おこしの関係に興味を持ったようだ(Ellen Haugan さん(ノルウェー・オスロ大),辰野町松尾峡へ)。
外国人向けの長野県の公式観光ガイド
Nagano Prefectural Official Tourism guide
にも,辰野の移入ホタル問題が掲載されている。
辰野町のホタル生態破壊の現状を教材に取り上げる県外の中学も現われてきた(山野井貴浩・佐藤千晴・古屋康則・大槻朝(2016)ゲンジボタルの国内外来種問題を通して生物多様性の保全について考える授業の開発)。本来は,辰野町こそ,このような環境教育をやるべきなのだが,「生態破壊の歴史をひたすら隠す」ことを続けてきた町政には,そのような意思は全く無い。
外来種ホタルを地元ホタルと称して観光客集めをする辰野町の姿は,2016 年に放送されたTBSドラマ「神の舌を持つ男」 第1話「殺しは蛍が見ていた」のモデルにもなった(
ドラマ神の舌を持つ男・殺しは蛍が見ていた,辰野町がモデル/a>)。
松尾峡ほたる童謡公園に,多額の税金投入で建設された金属製の遊具は,ホタル保護にも教育にも役立たない。写真左側が,ホタル生息水路であり,幼虫上陸場所には縄を張られている。その脇に金属遊具が建設された。本来,ヘイケボタル生息地であった場所を,わざわざ潰して建設された遊具施設であり,自然破壊の象徴そのものである。
2015 年 10 月 10 日に,滋賀県・守山市の環境学習会で,辰野の外来種ホタル問題について講演した。(辰野のホタル 町おこしと保護の課題)。この守山から,辰野町はホタルを移入したのである。講演では,辰野町が,養殖した外来種ホタルを県外に移出していることも明らかにした(辰野町からホタルを移入した大月ホタルの里(新潟県南魚沼市))。
ところが町役場は,私たちが,何度申し入れても移入ホタルの拡散軽減,在来ホタルの保護対策を採ろうとしないのである。それどころか,役場に移入ホタルの影響調査をしたいと言うと,「学会で結果発表するのは勝手だが,マスコミに話すなら調査を認めない」と言われてしまった。
2008年,この辰野移入ホタルの弊害が明らかになると,いくつかの新聞がそれを報じた(朝日新聞,6月17日長野・中南27面; 毎日新聞,6月22日長野・南信25面; 読売新聞夕刊,7月28日13面)。
すると後日,役場庁舎内で,ホタル保護担当のH課長補佐(当時)から,
「なんで新聞社に言うんだ!!」
と私は怒鳴られてしまった。役場に,抗議の電話がジャンジャンかかってきたというのである。ちょうど,生物多様性基本法が成立した時期でもあった。
そんな事態が生じたのにも関わらず,町議会では誰一人,この問題を取り上げなかったし,今なお取り上げていない。
2008年,辰野町役場は,塩入茂・県自然保護課長(当時)から 「ホタルが町おこし役立っているのは事実だが,生物多様性にも配慮を」 という指摘を受けた。しかし,これも全く無視。生物多様性基本法の観点からは,いわば違法状態の町である。
驚きの極めつけは,2009年,矢ヶ崎克彦 町長(当時)の弁。
12月15日の第14回辰野町議会定例会で,
「ホタルの移動事態は自然の生物のホタル体系を崩すもとであるというようなことも大きな問題」
(平成21年第14回辰野町議会定例会会議録 14 日目,p.20)
と述べているのである。
これは,松尾峡ホタルを無断捕獲し,東京へ持って行こうとした会社員が,役場職員に警察へ突き出され,役場の要請?で送検までされた事件の話であった。
自分たちがやってきた外来種ホタル移入には知らん顔しながら,このような答弁なのである。
ちなみに,この松尾峡ホタル盗難事件では,町役場は警察には,移入養殖ホタルとは一言も言わず,それで,天然記念物保護条例違反,ということで会社員が送検されたという,いわくつきの事件であった。だから,養殖しているホタルを盗んだ,ということより,天然記念物指定地を傷つけた,ということで地元新聞紙に大きく取り上げられた事件である。
平成 18 年 6 月の定例町議会では,桜井はるみ議員の質問に答えた矢ヶ崎氏が,
「昭和 40 年にホタルの絶滅の危機にも瀕した中での、いろんな反省点の中からホタルを自然発生するように頑張っている」
と述べているが(同議事録 p.8),質問にも答弁にも,移入の「い」の字も出ないのである。繰り返すが,県外からほたるを大量移入して,今に至るのである。しかも,町長も議員も役場も,それを知りながら,外来種ホタル養殖を推進しているのである。
2010 年,ホタル保護条例改正に先立って,せめて議会で在来ホタル保護を取り上げて欲しい,と私は町議たちに文書を送ったが無視され,それが盛り込まれない条例に異議を唱えるどころか,質問すら全くせず,町議全員「異議な~し」で可決されてしまった(平成21年第14回辰野町議会定例会会議録 14 日目,p.4-5)。
これではまるで小学校の学級会である。役場が迷惑だと言うほど抗議の電話がかかってきた問題だというのに,町議は誰も異議はおろか,質問すらしないのである。
この改正,前述のホタル持ち出し事件を受けて,そのような行為を厳罰化する,という改正であった。この改正条例の驚くところは,観光地・松尾峡だけでなく,辰野町へ一歩でも足を踏み入れてホタルを取ったら罰金(役場の話),というものなのである。もし,町の子供たちがホタルを捕りたければ他市町村へ,という内容だから驚いてしまう。今なお,観光産業優先,生態系無視の公共事業しかできない町の姿がここにある。
このホタル問題に関して,長野県大町市の牛越徹市長から,私は以下のようなメールを頂いた(2010年1月18日)。
「辰野町では,ホタル養殖に行政が関与するのであれば,在来種保護は一層重要。解決に時間がかかっても勇気を持って方向を転換すべきだ。」(内容は筆者要約)
しかし,こんな他自治体の声も,辰野町役場には馬耳東風である。
私たちは,移入ホタルを駆除しろとか,使うなと言ってるのではない。周辺の在来ホタルへの影響を抑えるような方策を皆で一緒に検討して欲しい,と役場に提言しているのに無視されているのである(辰野の移入(外来)ホタル 生物多様性の喪失へ 辰野町への政策提言)。
辰野町を訪れた昆虫写真家・ 海野和男氏に対しても,役場は,
「ここで見られるホタルは全てここで育ったもの」
と説明。
海野氏は
「確かにこの環境なら放流の必要など全くないだろう」
と感心したが,実は見事にだまされたという感じである。
また,大場信義氏は,フォッサマグナ西縁,つまり糸魚川-静岡構造線を挟んで,辰野町・松尾峡と諏訪盆地や甲府盆地で,ゲンジボタルの発光周期が異なることから,この構造線がゲンジボタルの東西二型の分布境界であると考えた(ゲンジボタル,文一総合出版,1988)。しかしながら実は,大場氏が辰野町を訪問した時,松尾峡ホタルが県外からの移入だと説明されなかったのである。もちろん,辰野町役場は移入ホタルであることを知っての上の話である。なお,日本のホタル研究をリードしてこられた大場氏は,2020年1月31日に逝去された。全国ホタル研究会情報交換誌・第43号が,大場信義博士追悼号となって公開されている。
現在では,ゲンジボタルの発光周期や DNA の地理的境界が糸魚川-静岡線ではないと判明している(ゲンジボタルの地理的変異と地質学的事件の関連)。
辰野のゲンジボタルが,学術的に誤解された他の例として,,卒論で辰野の蛍保護を調べた滋賀県立大の学生・福神啓太が,移入して増やした事実を全く伝えられなかったことが挙げられる。結局,卒論を書き上げ,ネットで公開後,指摘を受けた指導教授の井出慎司氏が追加コメント書くはめになった(地域ぐるみによるホタル保全活動の促進に関する研究(滋賀県立大卒論))。
田舎町のためか,住民もホタルに関しては,役場に異論・反論を唱えにくい雰囲気がある。 2011 年 1 月 17 日,辰野町役場で,生物多様性保全に向けた生物多様性地域懇談会という会議が開催された。しかしながら,その内容が,また唖然とするものであった。
その冒頭部分で
「動植物の保護や、外来種の駆除が取り上げられている。地域での生態系を含む取組が注目されている。辰野はホタルの町ということでホタルの位置づけは重要な問題」
と述べられる。
しかしその中で,移入ホタルの話は皆無なのである。役場内の生物多様性会議では,移入ホタルの話はゼロなのである。
複数の大手の新聞に取り上げられ,電話では苦情が殺到し,県庁からも指摘され,それでもなお,役場内では誰も触れたくないし,触れようとしない雰囲気が漂う。
2011年7月,辰野の下流, 箕輪町の町長・平澤豊満氏に,辰野の移入ホタル拡散の可能性を伝えたところ,同町郷土博物館の柴秀毅氏へ転送され,メールで返事が来た。辰野からは,全く知らされてなかった,というのが真相らしい。周辺自治体の生態系への影響など,辰野町は知らん,ということである。
ホタル移入は仕方なかった,他地域でもやったところがある,移入でも重要な観光資源,などなど様々な言い訳も聞こえてくる。しかしながら,辰野の場合,今なお何ら対策を採らず,しかも公共事業で税金を投入し生態破壊をやっている,という点で,その無責任さが際立っている。