生物科学研究所研究報告
2018年11月2日
岡谷市で発見された糸魚川-静岡線に関連する活断層:岡谷市役所-敬念寺断層
井口豊(生物科学研究所)
「岡谷断層」と命名されている,糸魚川―静岡構造線(通称,糸静線)に伴う活断層が,岡谷市市街地でも,トレンチ調査で確認された。2012 年 8 月 25 日(土)に説明会があったが,一足早く,23 日に現場を見学した。
発掘現場は,岡谷市郷田1丁目,敬念寺の裏の畑である。この断層は,岡谷市役所西側(下の地図の右下)から,敬念寺(地図中央)の裏へ伸びる崖として顕著に認められる。とりあえず,岡谷市役所-敬念寺断層と呼んでおく。
次の写真が,発掘現場。西向き(地図では,右から左に向いて),つまり断層崖に向かって,トレンチを掘っている現場。左上の建物が敬念寺。つまり,この寺は断層崖の上に建てられているのである。
写真内の赤線は私が加筆。赤線より向こう側,つまり断層西側では段丘礫層となっている。一方,赤線のこちら側,つまり断層より東側では,茶褐色の粘土層となっている。
下の写真が,トレンチの北向き面,つまり,上の写真でトレンチ右側の壁面である。
礫層と粘土層(腐植土層)が断層で接しているのが見られる。良く見ると粘土層の中にも断層が見られるが,ここでは細かいことは触れない。これらの断層は,地質学的には,ごく最近に活動した活断層と言える。
この断層の北方延長上,岡谷インター付近に,岡谷断層と命名された左横ズレ断層がある(東郷・今泉,1988)。諏訪盆地北西部で初めて確認された左横ズレ断層である。この左横ズレの状態こそ,糸魚川―静岡構造線の特徴と言って良い。今回の市役所―敬念寺断層も,おそらく,岡谷断層の南への延長であると思われる。
この岡谷断層の最後の活動時期は,約2200年前とされたが,中・近世の遺物も同時に見つかったことから判断して,さらに新しくなる可能性がある(東郷・今泉,1988)。
私は高校の頃,この崖は河岸段丘によってできたものと思っていた。しかし,その後,藤森(1991)を読んで,断層崖だという思いを強くしていたが,今回の発掘調査でそれが実証されたと言ってよい。
この断層が動けば,岡谷市にも甚大な被害が予想される。
特に気になるのが,地図に示したように,岡谷市役所が,この断層のほぼ直上にあることだ。市の中枢機関が地震の大きな被害を受けてしまったら,市全体が機能不全となる恐れもある(岡谷市役所と活断層 糸魚川-静岡構造線)。
なお,このトレンチ調査の結果は,日本地球惑星科学連合2013年大会で,近藤ほか(2013)によって発表された。また,活断層・古地震研究報告(第12号)の裏表紙の写真となっている。さらに,トレンチの断層写真は,日本活断層学会が発行した 2016 年活断層フォトカレンダーの 12 月の写真にもなっている。
産業技術総合研究所(産総研)地質調査総合センター(茨城県つくば市)の地質標本館に,この岡谷市役所-敬念寺断層の剥ぎ取り標本が展示されている。
これに関連して,次のウェブページも参照して欲しい。
長野県岡谷市の塩嶺西山地域における断層と地すべり地形:日本活断層学会2013年度大会発表
白馬村における糸魚川-静岡構造線系の活断層「神城断層」は,その一部が,2014年11月22日長野県北部地震が起きた後に,白馬村天然記念物に指定され保存されている(白馬村の天然記念物「神城断層」:2014年長野県神城断層地震の痕跡)。岡谷市の上記の活断層も,できれば現地で保存してほしかった。
参考文献
藤森孝俊(1991) 活断層からみたプルアパートベイズンとしての諏訪盆地の形成.地理学評論,64: 665‒696.
近藤久雄・谷口薫・宮脇昌弘・佐護浩一・増田祐輝(2013) 糸魚川-静岡構造線活断層系・岡谷断層における最近4回の活動.日本地球惑星科学連合2013年大会,SSS32-P17. PDF
東郷正美・今泉俊文(1988) 特集日本の活断層発掘調査[15]1983年糸静線活断層系(岡谷地区中島A遺跡地)トレンチ調査.活断層研究,5: 3‒10. PDF